東京湾に残る明治の要塞
2020/07/03(金)訪問。
千葉県富津市と言えば、個人的に大きな観光スポットはマザー牧場と東京湾観音ではないかと思っています。今回の富津岬訪問の目的は東京湾江戸前の味覚を堪能する事。「はかりめ」と言う魚の刺身を食べるためです(^∇^)
しかし毎度の事ですが私がわざわざ遠くに行くって事は、知られざる観光スポットもついでに調べるって事。
全くの余談ですが、そもそも千葉県富津市がどこにあるか知らない人が私の知人に多くいてビックリしました(>_<)
1853年、ペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の黒船が来航。以後、東京湾の入口に位置する富津市は江戸時代後期から海上の防衛線上において重要拠点と認知され、明治時代以降には第一、第二「海堡(かいほう)」と呼ばれる砲台設置防衛人工島、つまり海上要塞が作られました。
明治時代のこのような島と言えば、日本では長崎県の通称軍艦島が有名だと思います。長崎のそれとは建造された目的は全く違いますが、明治時代の海上建造物遺跡としては一致してるのではないでしょうか。
では東京湾のそれを紹介いたします(^∇^)
この日はJR内房線青堀駅に朝8時過ぎに到着。すぐにam8:17発の富津公園行きバスに乗りました。現地まではバスで約12分、am8:30に富津公園バス停に到着しました。
富津公園バス停から富津岬の先端まで片道約2.1km歩きます。体力に自信ない、または歩くのが億劫な人で車やバイク持ってる人はゼッテーそれで行く事をオススメします。結構疲れますから(>_<)
私は日頃の運動不足解消の為にこの位の距離を歩くのは苦になりません。ですがこの日は朝からちょっと蒸し暑く苦痛に感じました(>_<)
しかし、目的地まで歩いてる道中脇の森林からはウグイスや牛蛙の鳴き声が見事なハーモニーを奏で聴こえてくるのは癒しになります。
特にウグイスは「ホーホケキョっ」と鳴くのは周知の通り、しかしそれ以上にもっと長く美しく鳴くのだなと初めて知りました。そして牛蛙さん達は重低音で「も"~」と鳴いてましたが、たまに居酒屋のオヤジみたいに「ゲホッ!」とむせる声も聴こえて思わず「クスッ」笑ってしまい面白かったです。
これが自然なんだな~と楽しく歩きながら感じました(^∇^)
↑せめて上空から見てみたいなと思っていたら第一海堡をドローン撮影した動画がありました!これは見事な映像です(^_^)
↑第二海堡の位置はここら辺です。
ちなみに第二海堡は国土交通省の東京港湾航路事務所が管理しているため立ち入り禁止です。が、『東京湾海堡ツーリズム機構』っていうのが発足され、一般人でも上陸できるツアーがいくつか出来てきたようです。
↑そのツアーの動画を見つけました。いやー行ってみたいです(^_^)
そして第三海堡ですが、関東大震災の影響も受け島自体が大幅に劣化し、今は撤去され実在してません。あった場所は↑赤マルで囲ったここら辺みたいです。
時に第三海堡建設に関しては水深が深く、工事は難儀を極めたようです。
現在第三海堡は撤去されましたが、その人工島にあった一部の建造物が、横須賀指定重要文化財として見る事が出来ます。私は横須賀米軍基地によく行くので、次回はここも合わせて訪問したいと思いました(^_^)。
それにしても、一体どうやってこれら建造物を移動したのかが気になり調べたら…↓
↑こんな感じで移動が行われたようですが、当初は砲台砲側庫、地下通路、観測所、探照灯の4つの建造物が追浜(おっぱま)にある民有地の展示施設に保存、展示されていた様子。
その後展示施設の維持が困難になり、他に移設場所が見つからなければこれら明治大正時代の超貴重な遺産が廃棄処分される危機に陥ったようです。
ですが、横須賀市指定特定非営利活動法人さん達の努力により、追浜地区にこれらいくつかの遺産が残されたとの事。
さて、富津へ「はかりめ(アナゴ)」の刺身を食べに訪問したはずが、明治時代の偉大な海上遺跡に魅力されかなりのめり込んでしまいました(^∇^)
今回私が登った「明治百年記念展望塔」からは肉眼で横須賀まで見えました。正に東京湾への入口、昔の人達がどれだけこの場所を首都防衛に重視していたかが本当によくわかりました。
長崎には軍艦島がありそっちの方が全国的に認知度が高いとは思いますが、どうか明治大正時代に東京湾の正にここに、その時代の海上遺跡があるって事を知って頂ければ幸いです(*^^*)
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